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淡水から広島までの一千浬(20)

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幟町小学校6年松組は、5年からそのまま持ち上がりの組であったが、男子27名に対し、女子は34名と多かった。

女子は国会議員の娘や当時、東洋工業と言っていたマツダの副社長の娘などが居た。
担任の小川先生はマツダの技術役員が取り寄せてくれたポピュラー・サイエンスという雑誌を見せてくれた。

女子の中で成績の良かったのはCHと言った。
算数も、國語も、理科も社会科も良くできた。

私は幟町小学校に落ち着くまで転校を繰り返していたが、当時小学校教育のカリキュラムが固まっておらず、カタカナから始める処もあれば、ひらかなを最初に教えるところもあった。
算数も、乗除算を習っているときに転校となり加減算に逆戻りしたこともある。
幟町に転校して5年生になるときに組替えがあり、やっと落ち着いたのである。
大体において授業内容を理解していたが、互角のレベルであったのはCHであった。
中学、高校と進学して先端を行くと思っていたが、ずっと後になって家庭環境からか心の病になり亡くなったと聞いた。

卒業後40年以上も経って、東京と広島でクラス会に参加したことがある。
いまでもやっているのであろうか?

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2012年01月23日 11:50に投稿されたエントリーのページです。

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