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淡水から広島までの一千浬(21)

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小学校の修学旅行は別府であった。

国鉄の広島駅も横川駅もその頃、己斐駅と呼んでいた西広島駅も後年建て替えられたが、当時は広島駅にも学童が集まる適当な場所がなく、高架線になる前の横川駅から普通列車に乗った写真が残っている。

客車を増結したのかもしれない。
確か、見送りに来た母にチューブに入ったソフトチョコレートを買って貰ったと思う。

乗り換えの覚えがないので、そのまま日豊本線の別府駅まで行ったのであろう。

写真は、地獄めぐりの海地獄で撮った記念写真である。

ケーブルカーで楽天地に上がって温泉プールで泳いだ。
ちょうど、その日は雨であった。

別府港を見下ろす海岸沿いの児玉旅館に一泊して、帰りも列車に座って帰った。

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修学旅行の前であったが、小学校から己斐の茶臼山までの遠足があった。
片道4キロメートル以上ある。
山登りだから往きももバラバラで、帰りは学校まで戻らず帰宅した学童も居た。
今なら問題になっていると思う。

毎日、片道1キロを通学していたので、下校時にその倍くらい寄り道したり、帰宅後その程度の範囲なら、まだ部分的に瓦礫の残っている市内を歩き回っていた。

小学校で算盤も習った。
まだ貧困家庭も多かったので、学校で使う教材も「買わなくてはいけないことはない」と教師たちも気を使っていた。

それでも、広島の街はやっと復興の兆しの見え始めた頃であった。


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2012年01月24日 11:11に投稿されたエントリーのページです。

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