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淡水から広島までの一千浬(57)

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1973(昭和48)年5月27日、母は葵吟詠会から初段に認定された。

1級に認定されたときに淑葉の号を貰った。

津田先生に習っていたのであるが、名誉会長の中江大部先生は、以前広島大学工学部長を務められていた方である。

母は私にも詩吟をやるように勧めてくれた。

いまでも手許に石川丈山の「富士山」の詩に発声を記号で記したメモがある。

その年の7月、妻が日本赤十字病院の外科に入院した。
7月4日に手術をして1ヶ月の入院となった。
入院したのは31歳の誕生日を迎える3週間前のことであった。

母は修養科を務めたあと、教会長資格の講習を受け、この年の9月に合格証を貰っている。
清光分教会と白光分教会の役員を務めていた。

12月には私が勤続10年の表彰を貰った。

同じ12月に、退院した佳子も教会長資格の講習を受け、16日に検定に合格した通知を貰った。


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2012年02月29日 16:26に投稿されたエントリーのページです。

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